+ NOWLD WORKS
Type of Project : Cafe & Lounge
Location : Toyoura,Yamaguchi
Area : 102.17 Sqm
Construction : alpha
Photo : Tsuyoshi Kojima
Cafe & Lounge 楓山文庫
於多福屋旅館より受け継がれてきた蔵書や調度品が収まる書庫として、川棚グランドホテルお多福別館1階、楓の築山に囲まれたカフェラウンジ。
あいだ(間)と似た言葉としてあわい(間)という古語があるのだが、2つは少し異なる。「あいだ」の語源は空き処であり、複数に挟まれた空間を指す。一方「あわい」は合うを語源として複数の重なる、交わった空間を言う。江戸時代・天保年間に創業したその旅館は、名称や姿はうつりかわるが、人々と湯や自然との交わりは引き継がれ、一座建立である。柔和な川棚の風土・歴史から形成された事物と、気韻を感じさせる異国の事物をマレビトとして歓迎し、楓山文庫にはあわいが満ちる。
カウンター:手前には立礼式の丸炉が切られ、奥にはエスプレッソマシンが据え置かれる。鎌倉時代よりお茶で一服し、江戸時代より珈琲で一服する憩いの文化は引き継がれ、一つのカウンターに共存している。背景には狩野芳崖の鶴図屏風が掛けられ、店主の所作は儀式性を帯びる。
白壁、土壁:解体をした建設当時の天井や壁は表出し、豊浦町沿岸にある漆喰のような白壁には、木陰のような柔らかな光で満ちている。また豊浦町のブロック式の特異な蔵や、長府の塀に通ずる土壁が立ち上がり、粗面コンクリート仕上げの床は古江小路を思わせる佇まいである。建物・土地の細部と歴史を尊重し、風土を体現している。
灯りと家具:古今東西、背景の異なる物々が吟味され選定された。簡素な空間に多様な形や素材の家具は調和し、空間は成熟する。静謐な灯りは、昼は儚げで自然光を豊かに感じさせ、夜は柔らかく周囲を灯し、良質で穏やかな時間が流れる。美しい調和は安らぎと発見を与え、その存在は彫刻のように優美に佇む。
楓山:広縁からみえる楓の枝葉はさわさわと揺らぎ、四季のうつろいを肌で感じ入る。木々に覆われた築山は川棚の山紫水明を表現し、湯や自然と溶けるように近しい旅館ならではの味わいがある。
屋号紋 升形本函:山口県は数多くの芸術家や文学作家を輩出している事から、装丁は題箋貼り枡形本とした。これは中世以前の歌書や物語(古今集や源氏物語、近年ではおくのほそ道他)によく用いられた書型である。楓の築山を屋号紋とし、本函は伝統的な型染めの手法で製作され、和紙は祖父 小島悳次郎が残していた強制紙を用いた。その屋号紋の意匠起こし、升形本函の製作は従姉妹夫婦であるSHIMA ART&DESIGN STUDIOによるもの。
鶴図屏風 狩野芳崖(1828-1888) 所蔵 下関市立美術館、楮厚口和紙AIJP:長府藩御用絵師で狩野晴皐のもとに生まれ、幕末から明治期の日本画家で近代日本画の父。豊浦町史には芳崖屋敷が吉永一之内にあり、 農家の離れを借りて生活していたという伝承がある。
山水図屏風 狩野晴皐(1797-1867) 号:環翠斎:長府藩御用絵師で狩野芳崖の父。高杉晋作らの一行に絵図係として加わった。
マッコウクジラの骨/エンペラーペンギンの剥製:下関は古くから鯨との関わりが深く、弥生時代中期頃の吉母浜遺跡からは鯨骨製の道具(アワビオコシ)が出土している。既に当時から海岸に打ち上げられた鯨の肉は食用として、骨は道具等に利用されていた。その後江戸時代に入り長門、萩周辺の各浦に鯨組が置かれ、流通基地の基盤が整う。日本初の近代式捕鯨会社は、明治32(1899)年に長門に本社を、下関に出張所と倉庫を置いたことから、山口県は近代捕鯨の発祥地と呼ばれています。昭和32(1957)年に捕鯨船が下関港に入港し、旧水族館にエンペラーペンギンが寄贈されて以降、今日の海響館「ペンギン村」にいたるまで下関市民に親しまれている。令和3(2021)年にペンギンが下関市の鳥に制定。
鶴寿注連縄:柳井佳(北九州市)作 豊浦町川棚で収穫された餅米の藁で新しく制作された。 「鶴寿注連縄」は下関市豊浦町の藁細工名人として知られた諏訪音松(1897-1984)が考案。独創性と高度な技術が高く評価され、大阪万博の日本民芸館にも展示された。
石/ニッキ:旅館内で石垣として使用されていた、豊浦町では馴染み深い真砂石。香り高いニッキの柱台は、旅館内で伐木されたものを製材。石材、木材ともに本立としても用いられる。
徳地和紙 千々松和紙工房(山口):鎌倉時代初期、俊乗坊重源上人により山口に伝えられたとされる徳地和紙は山口市指定無形文化財である。和紙の原料となる楮や三椏、漉く際に加えるとろろあおいは徳地の自然で栽培した天然の素材を使用。
下関鳥瞰図 昭和7(1932)年 吉田初三郎(1884-1955:全国の旅行案内図を描き大活躍した人物。鳥瞰図により旅行業界の発展に貢献し、国に尽くすことに生涯を捧げた。